写真はクリックすると大きくなります。  
 12月26日  
 
 今年の後半で見た映画で一番、良かったのは「秋刀魚の味」。 小津安二郎の遺作で、50年以上前の作品。 正直、いままで小津作品は苦手。 あの超有名な「東京物語」でも、なんでこれが世界のベスト10なの?という程度。 同時代のかつ有名じゃない方の成瀬作品の方が好き。 言い訳としては、笠智衆等、初老が主役となる映画が多く、若い時見てもピンとこなかった。 どちらと言うと富裕層の登場人物が多く、より人生の悲惨・非情にピントを当てた成瀬に共感する、の2点。 「秋刀魚の味」の前に見た山本富士子が出ていた小津作品(名前忘れ)も、もう一つだったしな~。

しかし「秋刀魚の味」は、これだ、これだという感じで、最後まで感心しっぱなし。

同じ脚本家で役者もそれほど違っている訳ではないが。

小津は、確か60歳で死んだので、当方はこれを上回った。ので、同じ視点で笠智衆と友達のやる事、話す事を共感しながら見る。 戦友につれていってもらった飲み屋が気にいり、一人で行きはじめる、なんて如何にもありそう。 そして友達を連れて行く。 恩師役の東野英治郎が絶品。 昔の教え子との飲み会では飲み過ぎで寝てしまうが、一旦正気に戻ると教え子にペコペコしだす。 恩師の娘役の杉浦春子も、少ない出番ながら見事。 素っ気のない言動に、笠智衆が自分の娘に対する考えをここで変えるので大切だ。 長男夫婦のやり取りも、辛辣で、これが50年前の会話とは思えない。

そして娘の岩下志摩(きれい!)を嫁にやった日の夜。 感情の発露を抑制的に

描いてきた小津にしては、結果的に最後の作品の最後の場面で笠智衆が感情をストレートに出す、それを正面から捉える、ここはちょっとビックリです。 と、最初から最後までなるほど、なるほど、と納得しながら見入ってしまいました。 大体、遺作なんてエネルギーが尽きてカスしか残ってないのが多いが、これは逆。 60歳を過ぎてからの作品も見たかった、ですね。

写真は、キリムの一種。 ソフレ。 遊牧民が食事の時に食事の下に敷いていたキリムで、各遊牧民によって違うようです。 面白いかも、と今回購入。

で、これで今年最後の頁。 日記のご愛顧、今年も有難うございました。 来年も宜しく。

 12月26日  
 
 年末の今頃になって、ここに書こうと思って貯めていたのを思い出しています。 前回のイラン旅行でとった一枚。 右のもの何か? 中東で暮らしていた人ならわかります。中東のウオッシュレット代用。 これでお尻を洗います。 昔からあるみたいです。

中東の赴任が決まった時、ウオッシュレットを持っていけないか真剣に考えました。

我々の事務所もあるJAFZAというフリーゾーンにトートの事務所がある事を発見して日本からテルしました。 どうしたらよいか? 1.賃貸なので工事する場合家主の了解が必要で、これが大仕事。 後で復旧が必要。 2.電気がまず来ていない。 流石、プロです。的確な助言でウオッシュレット持参は諦めざるを得ません。 入居してトイレで変なものを見つけました。 写真のものです。 そしてどのように機能するかも。 しかし始めの数回は下半身びちゃびちゃ。 そうか。下半身は何も身に着けずに臨めばFINE慣れれば快適です。 微妙なコントロールは必要ですが。 水量とロケーション。

これでウオッシュレット要らず。 調子にのって会社への週報で、この事を書きました。が、これは週報に書く事ではないと後で小言を頂きました。

これともう一つ。 ムスリムは、お祈りの前に足を洗うので、大体、トイレの洗面を

びちゃびちゃにします。 これとウオッシュレット代用品の使用とで、水浸しの

トイレが多い。 そしてあまり言いたくないが、汚い。 超近代的なドバイは

便所掃除人がいつも出たり入ったりしているので大丈夫だが、そのほかは・・・・。

特にイランは宜しくありません。  

 12月25日  
 
この写真と関係ない話から始めます。 最近、ユーミンのベストアルバムを買いました。そして最後の曲。 数年前、NHKSONGSの時も最後に歌った曲。 プロコルハルムの「青い影」。 若い時に一番影響を受けた曲だと。 「うー」。 思わず唸りました。 下手すぎる!! こりゃいかん。 カラオケの上手い素人の方がまし。 ユーミンワールドの100mの壁が崩れ落ちます。 

浪人のときラジオから流れてきた荒井由美に脳天を打たれLPを買い続けました。そして4枚目で離れていったのですが、これほどの音楽のインパクトは今もありません。天才の業。 これで、一つ分かった事があります。 このユーミンワールドは旦那が半分作ってきた、のだろうという事。 ユーミンに合う歌&ユーミンのファンが好きなユーミン節から外れないよう、外れないよう旦那は細心の注意を払ってきた。 そして100mのユーミンワールドの壁を築いてきた。 取っ掛かりからユーミンワールドを支えてきた旦那は、由美ももう還暦だし(小職と同じ年齢)、金も十分ためた、これからは由美の好きにさせてあげよう、と。 しかし、これはないわ。 いくら本人が好きでも「青い影」はダメ。
で、ここからは歌の上手い人の話。 ずっとジャズボーカルを聴いてきて、この所、気に入っている歌手の一人がダイナショア。 若いときに「アニタオディのAnita sings the most This is Anitaがジャズボーカルの双璧だから聞け」とあって、それ以来アニタオディが自分のジャズボーカルのde fact standard になってきた。今も。

独特のしゃがれ声ながらお洒落で都会的、テンポを自由に操る名人。 しかし最近は、情感を込めて歌うストレートな歌唱にも結構ハマるようになってきた。 その一人がダイナショア。 このひとの声は、誰よりも品が良い。 声で比較するとアニタオディの180度反対方向かも。

写真のアルバムは、代表作の一つ。 調べると、1940年位から60年にかけて大変な人気でTVに自分の番組をもっていた。 3大ネットワークしかない時です。 Youtubeで見つけたこの番組で、フランクシナトラと歌の掛け合いをしています。 Great American Singerに、一歩も引かないダイナショアはすごい。 この頃までジャズボーカル=ポップスであったので皆知っている歌ばかり。 このコーナーは、何バージョンもあるので随分好評だったのでしょう。 しかし、この癖のない素直な歌いぶりのせいか、語り継がれなくなった?  Youtubeで Dinah shore  で引くとこの番組が出てきます。  

 

 12月14日  
 
 10月の買い出し分が、年末も迫り少しは売れ出した所でギャッベを一枚。

現地で値段の高い絨毯は、裏返し、右から左から、何度も見直し、あくるほどチェックするがギャッベは枚数もあり、それほど時間もかけない。 日本で見直してみて、それほどじゃなかったなーと思う時もあり、逆に、これはずっといいぞ、と評価を上げるときもある。

評価を上げた一枚がこれ。 グラデーションのギャッベ。 グラデーションのギャッベそのものがあまりないが、きまった色がらながら(多分ですが)無作為に色を組み合わせた結果が、意図しない美しさを生み出す。

この緑(2色ある)、黄色、赤、ナチュラルの織り成す色模様。 いい感じです。

この絨毯、すでに取り置きの依頼あり、早々に店頭から消えると思われるのでここで紹介。 

 10月18日  
 
 新規仕入れ分の到着は、うまくいって10月末、まあ11月初めでしょうが、一部、先に持ち帰りました。 この分は、新規仕入れ分としてHPに載せます。

それを紹介。 まずはナイン。 今回のいわば目玉(と本人は思っている)。 大きさは、185×116cm。45年以上の古い絨毯。

大体、古い絨毯の故事来歴は分かっていないもので、絨毯商は40~50年ぐらいでしょうと適当に答える。 このナインは、お世話になっている絨毯商の奥様の親父、この方も絨毯の大商人だったが、ずっと昔に逝去。 所有していた絨毯のうち良品を子供、親戚に分けた。 その一品。 で45年前から大切に保存されていたのが分かっている。 よって45年以上。

勿論絨毯の良さは、古さが第一ではない。 

この品の高さである。 派手ではない慎ましさ。 図柄も色も。 フィールドの赤がいい感じの経年となっている。 今回も新品のナインを結構見たが、ピンとくる絨毯は少なかった。新品の色の生々しさもあるが、なんとなく品の良さを感じる絨毯は少ない。

ナインは品の良さが勝負なんですがね。

現在生産されているナインは、シシラ(6LA)であってもダブルノットで織られており

一方、昔のナインはシングルノットであり、その分、絨毯のタイトさ(長い目では持ちの違い)に違い。 これもある。 やっぱり良さは実物を見るしかないのですが。

もう一品は、イスファハンのガリッチェ。 232×155cm。 掘り出し物で、イスファハンらしい華やかな絨毯で、出来も良いのですが、思わぬ価格で入手できました。

他のイスファハンのガリッチェサイズの価格と比較してください。

 10月18日  
 
 イラン3弾。 いつもイスファハンからどこかへ連れてってもらうのだが、前回からのお約束のチャハールマハール・バクチアリという長い名前の地方。 地図ではイスファハンの左下が行先。 当店販売のバクチアリ絨毯の故郷です。 日本のガイドブックでは記載無し。 まずはムバラクという街の横を通っていくが、ここに製鉄プラントがあり、道路からも見える。 

一つ目の写真。 小生の勤めていた会社がここのプラントの一つを作っている。 友達も赴任している。 その時の赴任者がイスファハンのYという絨毯ショップの常連客になっており、たまたま小生の一回目のイスファハン訪問でその店を訪れたのだが、これが約20年後。 日本―神戸と話が続き、同じ会社の人間が来ていたと分かったが、なんという奇遇。今回仕入れのキリムの一部はここで購入。トライバル関連の知識がすごい店です。 

ムバラク後、すいかを買って、食べ、レストランを探し、昼食、でこのバクチアリ地方の入り口と言われるバルージンを出たのが、もう3時。 

同行が84歳、80歳とイラン人男性の平均寿命を過ぎた人でスローペースは仕方ない。 写真を撮っているこっちも年寄りやしね。 

バクチアリの村を訪ねるも、ここという見どころもなく、車の中から見るのみ。 ここは水が豊富な所だからか、緑が多く、村と村の間が近いというのが他との違いという程度か。みなバクチアリ人(notイラン人)と説明されるが、民族衣装を着ているわけではなく、当方では見分けられない。 最後にここの州都シャーレコルドへ。

一番マシだというホテルでお茶をしていると、なんと日本人の方、お二人がホテルに帰ってきた。 JICA派遣で、ここから西部の森林育成で来られていると。 6年間往ったり来たり。いや頭が下がります。 ガイドブックにも載っていない所で、ご苦労の数々。

こういう無名の方々の汗と、トヨタ、ソニー等の有名製品が、日本の印象を作っています。 その中で、我々は、海外に出て行くからだいぶん楽をさせてもらっている。

 10月15日  
 
 イラン第二弾。 いつもの通り、エミレーツとイランエアを使ってのイスファハン行き。初めての時は、食事保守の当方はイランエアの食事は半分も食べれなかったが、今ではエミレーツの「和食もどき」よりもイランエアの「まるでペルシャメシ」の方がおいしい。

で先ずは、昼食用の仕出し弁当。 チェロケバブ、これはペルシャの代表選手。 普通これにヨーグルトが付く。 「おこげ」は皆な大好き。 間違いのない選択です。

ケバブは、クビデというラム肉をクラッシュして丸めて焼いたもの。 ラム肉そのものが新鮮な国なのでケバブは、ラム肉でもOKだが、クビデも大好き。

次は、さるご家庭で、気合を入れて作って頂いた家庭料理。 これが今回の目玉です。ケバブ、チェロ(長米)各種、サラダ、ナス、鶏肉・・・・。 飲み物は、コーラとかノンアルコールビア、水位。 絨毯(バクチアリ)の上に、ペルシャ更紗を拡げ、周りに座って食べます。 目にも鮮やかな食卓でしょ。

最後は、どういう訳か夜に出かけたのですが、イスファハンの北部の村をめぐり(ここら辺の村が、有名な絨毯工房の多くの親分の出身地であり、また実際の絨毯の制作地、すなわち村の織子さんが絨毯を日夜織っている)、更に北をめざした所にあるキャラバンサライ、と言っていいか1600年前後のサファビィ朝(イスファハンが一番栄えた時代)の王様の謂わば別荘。イスファハンから35km離れている。 人気のスポットらしいが、日本のガイドブックには載っていない。

 10月12日  
 
 久しぶりのイラン訪問。 ちょうどアシューラの時期にかかり、今週は仕事にならないそうで、購入の絨毯がいつ到着するか気を揉む所です。

全体の期間をムハッラムと言い年間で一番大事な宗教行事で、その中心がアシューラ。 
今から1400年前くらいの、この国の宗教上の大事な人の殉教を追悼します。
夜、若い青年が上下黒の服装を着込み、両手の重い鉄の塊を体にぶつけ「ホッセイン、ホッセイン」と叫びながら行進するというメチャ、マドっぽい行事。 かなり盛り上がるようです。 あまり近づかず、もっぱら車の中から見学。

この写真のような集会場があちこちに設置されて夕方からぼちぼち気合のはいった兄ちゃんたちが集まってきます。

この興奮度は、日本でいくと、一年に一度の地元の「祭り」。

本番当日の前日に帰国した(10日間の最後の日がピーク)のと、かなり興奮状態の人に近づいての写真はまずかろうと、早朝にとった集会場のみの写真で御免。

ついでに、イスファハンの一番の観光地、滞在中、毎日通っているエマーム広場の3つのスポットと逆光の写真をつけます。この3つが何であるかは、各自ネットで調べて下さい。


 9月22日  
 
 ほんの一か月前に「日本語の総括的なペルシャ絨毯の本は存在しない(と思う)」とここで書いたが、恥ずかしい。 間違ってました。 この本です。 「ペルシャ絨毯図鑑」。1986年発行で、これはなかなか良く出来た本です。 企画は、神戸の絨毯ギャラリーの大熊さんで、2度ほどお店に寄させて頂きましたので、重ねてお詫び。 

この本の中心は、各産地の絨毯の写真とその説明で、このスタイルが、絨毯本としては一番知られているであろう「ペルシャ絨毯文様事典」につながっていったと思われる。こっちの「文様事典」の方は、いまでも大きな書店で入手可能。

「図鑑」の方は、横浜市図書館の在庫をネットで見つけ、今見ている所。 どうもアマゾンで見ると中古で手に入れられるのですね。 ほんとう、世の中すすんでいます。

産地別絨毯の解説を、欧州にすんでいるアンテーク絨毯商(多分イラン人)の人がやっており、解説を見る限り、この人の頭、中途半端や無いね~。 すごい知識。

まだドバイに居た頃、絨毯屋にいくと、ちょっと見たことのない絨毯を出してきて「この絨毯どこの産地か分かるか?」なんて聞かれました。 こっちの理解度のチェックですが、逆にみると専門家でも、どの産地か分からない絨毯は一杯あるという事。 しかもこれは現在、店頭にある絨毯。

50年~100年前の絨毯を引っ張りだしてきて、イスファハンの絨毯を解説しながら1930年から1950年にかけてデザイン的に退歩があったのではないか、なんて言えるのは・・・本当すごいレベルです。 

 9月16日  
 
 ライオンたばこ歯磨き。 長く持ちます。 で今使っている缶が終わりそうになりいつものドラッグストアに。で探しても無い。 あっちの店も無い。 なんと今年4月に製造中止との事。 重宝してきたのに。 練り歯磨きではない粉歯磨き、かすかな記憶だが、確か幼い時に使っていたような、そしてイチゴ味とかの練り歯磨きがでてきて、えらく感激したような・・・。 不確かです。 そして幾星霜。 いつからかライオンたばこ歯磨きを使い出し、タバコは5年前に辞めたが、関係なく、シンプルな味と圧倒的な経済性でずっと使い続けてました。 測ったことないが、多分、一缶で半年はもつ。

ドバイ駐在のときも、途中の一時帰国で一回まとめ買いして繋がった。

不便なのは、出張には持っていけないので(単に面倒)、その時は小さなチューブ歯磨きを持って出かける。

街で売ってないので、ネットでチェックしてみる。 いつもの通販ネットサイトでは貴重品価値からか、高価な歯磨きになっていた。 が、ライオンのネットサイトがあり、ここだと4缶まとめ買いで、標準価格。 やった!! 

これが使い終わったら、チューブ歯磨きやろね。
 8月19日  
 
 先日、テルあり。 「家にある古い絨毯を引越時に処分したいが、買ってくれる絨毯屋はないか?」との質問。 当店はやってないが、ネットでチェック出来るので絨毯買い入れを歌っている店舗あり、そこに聞いてくれと。 但し、全般的に伝統的なペルシャ絨毯はトレンドとなっておらず、それにもまして2000年位から日本でのペルシャ絨毯の値段は大幅に安くなっており(正確に言うと、昔は天文学的に高かった)、貴方の買値から比較して二束三文の価格しかつかないであろう。と聞いてがっくりという残念な返事をさせて頂いた。 掘り出し物のアンテークという可能性もあるかもしてないが、コンマ何%という確率だろう。 

多分買われたときは、将来、2倍、3倍に値上がりしますとかのセールストークがあったことと思うが、なぜこんなに下がったのか。 説明すると長いし、昔の話なので、正直、店主も聞いた話としてしか説明できない。 関心ある方は、ネットで、「ペルシャ絨毯 神戸 メヘラン」でチェックできるHPのペルシャ絨毯の基礎知識の最後の説明を読んで下さい。 

この店メヘランさんは、店主が店をオープンしようとした時、既に実店舗はなくなっていたが、このHPの説明は素晴らしい。 チェックしたペルシャ絨毯屋のHPのベストと思う。 ちなみにメヘランさんがあった六甲アイランドのファッションマートは、絨毯ギャラリーとティーズというある意味、日本を代表するペルシャ絨毯屋が二軒並んでいる。 このHPに、当時、イランからの輸出に100%の関税がかけられていたとの説明があるが、加えると、個人客は15m2(5m×3mの絨毯で一枚ぶん)しか持ちだせず、実質的な輸出制限がかけられ、ウラをぬってイランの南岸からダウ船でペルシャ湾を渡ってUAE(ドバイ等)に密輸されていた。その影響で、ドバイ等に沢山の絨毯屋が栄え、今に至ると。
このように絨毯屋の
HPには感心する記述も時々あるものの、出版物でいうと日本語の総括的なペルシャ絨毯の本は存在しない(と思う)。 ドバイの紀伊国屋(80%が英語の本で、アラビア語の本は少々)で初めて英語のペルシャ絨毯の本に接したが、英語でも沢山の本はないようである。 写真の本は、1973年初版で、「今までこのような総括的なペルシャ絨毯の本は無かった」と書いてある。 この方面の情報は、その程度のものであり(この本は立派な本ですが)、周辺の細かい枝葉末節情報は、イランの絨毯商、生産者の頭のなかにある。 

 8月15日  
 
 盆休みで帰省したおり、朝の涼しいうちにポリポリ散歩をしていたところ

「ジュリーが三木へ」のポスター。 おお一緒やないか。 横浜から三木へ。 といってもジュリーファミリーが住んでいるのは横浜のビバリーヒルズ、山手です。 元町から上がった所。 友達がジョッギングの際に、ジュリーが新聞受けに来た所を見たというので間違いがありません。 

そういえば小職のサラリーマン最後の一年、カミサンを拝み倒してグリーン車通勤をしておりました。 ドバイでの車通勤に慣れた老体には、満員電車は無理や、へたしたら死ぬ、と。 これは会社に頼んでも何ともなりません。

その時、横浜駅、だいたい横浜駅くらいでグリーン車といえども満員になるので、のってこられた中年の女性二人が席をさがしています。 メガネにたしか帽子、普段?の化粧、どう見ても普通のオバチャン、で誰も気が付かなかったはずですが、小職は瞬間に分かりました。 田中裕子さんとマネージャーだと。 無事、席はあいていたようです。

覚えてますか。 「天城越え」という映画。 原作は松本清張ですが、この映画は田中裕子さんの美しさを見せるためだったと記憶してます。 中年オバチャンになっても、美しさはこぼれ出るようようです。

よってジュリーファミリーは横浜暮らし。  
 7月19日  
 
 イスファハンのオッチャンよりテルあり。 為替(イランリアルと米ドル間)も絨毯価格も変わってないと。 来月、テヘランで絨毯展(多分、世界一のペルシャ絨毯展)あり、これで世の中の流れが分かるので又、教えてくれると。 一度、この絨毯展にも行ってみたいのだが、なかなか。 日本のイラン人絨毯商はこの展示会によく行くようです。そういえば先日、BSのニュースで見たのですが、一年前にイランの経済制裁を解くと発表したのに、実態として制裁解除が進んでいない。 これは米国が原発関連の制裁は解いたが、それ以外にあれもこれも制裁があり、こっちは解いていない、というトリックのような話。これにイラン側は政府のトップからかんかんに怒っているが、どうも前に進まない。これで分かりました。 為替は動かず、銀行送金も出来ず。イラン側が怒るのも無理なし。

今日はCD紹介の二回目をしようと、シンガーズ・アンリミテッド(The singers unlimited)の「アカペラ」を探したのですが、見つからずクリスマスアルバムをつけておきます。 このクリスマスアルバムもクリスマスでのおすすめアルバムには載ってくるアルバムのようです。 米国の男女4人組のコーラスグループ。 若い時に先輩から教えられてからのファンです。 時期、スタイルからいうとマンハッタントランスファーとよく似ているのですが、マントラが一杯色んな賞をもらい営業的にも大成功を収めた(ちょっとした自慢ですが、小生も一度NYBLUE NOTEで鑑賞)のに比べ、アンリミテッドは米国内では殆ど知られず、西独と日本で人気が出、また音を何度もかぶせて録音するという音つくりのため営業も出来ず、こじんまりと終わったようです。 マントラが「あれも出来るぜ、これも出来るぜ」と挑戦的な音つくりをしたのに対し、アンリミテッドはひたすら美しい曲をひたすら美しいハーモニーで、ひたすら美しく歌うに徹しています。 この道より行く道なし。 「アカペラ」が一番有名で、かつ彼らの美しいコーラスを堪能するにはベストかも知れませんが、上記のようなグループのため盤によっての優劣はありません。 どれを聞いても一緒? どっぷりその世界に浸るもよし、何かしながらのバックミュージックでもよし。 個人的にはマントラよりずっと聞いてます。

 6月20日  
 
 しつっこく映画の話に戻ります。 この前、BSで「寒い国から帰ったスパイ」というのをやってました。 1960年代の映画。いや~、びっくり。 しょぼいスパイです。主演のリチャードバートンが雑貨店で、「つけ」にしてくれ、くれないで店主をなぐってしまいます(二重スパイになる為のわざとが後で分かりますが)。 この時、リチャードバートンは39歳だったらしいですが、なんとなく所帯じみて50歳以上にも見えます。 恋人役のクレアブルームも地味系で、ほんと所帯じみ系カップル。 しかしそれが今では新鮮です。 007、MI、ジェイソンボーンで育てられてきた人間には、こっちが本物だと、ぐっと来ます。 そういえばこの映画の原作、中学か高校の時に読んでチンプンカンプンだったのです。 国際情勢が全く分からないド田舎のガキには無理だったのですが、今、この映画をみて、これが映画だ、スパイだと。 また白黒の画面がきいてます。同じく白黒画面で、とりだめていたベルイマンの代表作「第7の封印」を再見。 ご存知のようにベルイマンは、世界の映画人がクロサワを誉めるように誉める映画監督です。 昔々見て、この映画、同じくチンプンカンプンだったのですが、時の評論とかでは、いずれも大絶賛。 あの淀長さんもエラク誉めてました。 今回見て、筋は追えました。しかし、そこまで。キリスト教がストーリーのバックボーンとなってます。 この映画をキリスト教のバックグランドがない日本で、日本人が、どうしてそんなに褒めるのか、全く不明。 60歳を超えたので、無理はしない事にしました。 面白くない映画は面白くない。 ザッツオールです。

 写真は、イラン産のキリムで、シルジャン。 オリジナルは、イランの南方、ケルマンの西方で織られているが、本物は、目が細かく価格も良い値段である。 これにはちょっと手がでず、当店で売っているのはタブリズ方面で織っている商品。 絨毯ではオリジナル、コピーは気をつけないといけない(特にナイン、クムかな~)、キリムぐらいではそれほど気にする必要もないと思うが。

 5月31日  
 
 週末の舞岡公園散歩からの帰り。 すごい! この植物の数もさることながら、

この限られた場所を最大限に利用しようという根性、ココロザシが立派。 写真、勝手に使っちゃいますが、ご近所に見られたいという(?)お気持ちも察して。

 5月27日  
 
 そういえば忘れてました。 孫二人目。 一人目はジャニーズ系なので、二人目は
お顔すっきり、健さん路線で行きましょう。 
 4月28日  
 
 昨日、久しぶりにイラン・イスファハンのおっちゃんからテルあり。 相変わらず絨毯ビジネスは低調で、残念ながらこれは世界的? なのでしょうね。 びっくりしたのは為替で、確か一年前が1ドル33,000リアルだったが、この前おっちゃんとのテル(3か月前くらい)で35,000リアル、今回聞いたところ34,000リアルと全然リアル高(ドル安)になっていない。 これは前にも書いたが、67年前は1ドル10,000リアルのレベルであったが、経済制裁の締め付けでなんと3倍までリアル安がすすんだ。 経済制裁がだんだん解けていく事によって本来、為替も1ドル10,000リアルに戻っていくはずなのだが、全然進んでいない。 なぜか? よく分かりません。 

少なくとも海外からペルシャ絨毯を買おうという連中には、リアル高が進むことは有難くないが、経済制裁がとけて海外からの品物が入ってこようというイラン国民にとっては迷惑な話。

おっちゃんの話によると全般的に絨毯はよくないが、彼が扱っているアバスマンスーリの絨毯だけは価格が上がっているとの事。 アバスマンスーリは当店に置いているのは一点のみだが、本当はもっと持っておきたい。 素晴らしい絨毯です。 「当店提携先の絨毯」におっちゃんの持っているアバスマンスーリの絨毯を展示してます。 マンスーリさんには小職イラン訪問時、いつもご自宅に伺っています。当店の一点を今回の写真に。

デザイン、織り、色その他もろもろにおいてイスファハンの最高の絨毯の一つです。

 4月12日  
 
 この日曜(410日)の写真です。 花が舞ってます。 行く春を惜しんで。

柏尾川の桜。 今年はながく持ちました。柏尾川の遊歩道は、戸塚駅プラットホームの真下を通っているので通勤、通学、それに散歩、ジョッギング、沢山の人が利用してます。 戸塚駅周辺の憩いの場所。 全長6~7km。 写真の場所は、だいぶん戸塚駅から離れた早朝のため、だれも居ないのでパチリ。

 4月2日  
 
 いつもの散歩。 家の周りを歩き倒して今の散歩コースに固まったので、上がったり下がったりの適度の運動、車とのコンタクトが少ない、歩いていて気持ちが良い。 で絞ったのが今のコース。 と言っても、戸塚なので「おすすめ」というレベルではありません。

横浜の南部は坂が多い。 これも一時期、神奈川県の散歩道みたいな本をもって、結構踏破したので分かった事は、横浜南部はどこも上がったり下がったりの連続である事。

皆さんのよく御存じの所で言うと、元町通りから港が見える丘公園、そして山手に一気に上がります。 こんな上がったり下がったりがどこでも続きます。

写真の場所は、多分、戸塚で一番高いところからの風景。 中央の奥が日曜散歩の舞岡公園、右の小高い山が大船と旧鎌倉を分ける六国見山(2014年の本稿に登場)。

そして今日の散歩で気付いたこと。 桜はどこを歩いてもあります。 丁度満開。 年に12週間だけの花見なのに日本人て、桜が好きですな~。 これも一枚入れておこう。

 3月31日  
 
 朝通った時は、まだまだと思っていたのに、夜にはご覧のようにほぼ満開。
本当一日で、一気に咲きました。 戸塚名物、柏尾川の桜です。
 3月12日  
 
 映画は、好き嫌い、良い悪いが、大体同じ方向に行くと思う。 が、ちょっと違うのもあるよと、書かせてもらいました。 えらそうに! 一方、音楽はかなり様相が違います。 私が好きな音楽を貴方が好きな可能性は、う~~ん、多分、30%以下。
若い頃、五反田の社宅に住んでいて図書館にいけばレコードを借りれることを知りました。

品川区の図書館を自転車であっちこっち走りまわりLPを借り、せっせとカセットにダビングを。 購入LPと併せコレクションのカセットは800本以上になりました。 がそのうちレコード板が廃れカセットが廃れ、カミサンがせっせとカセットを処分していった結果、手元に一枚もカセットが残っていない状態に至りました。 その後は細々とMP3の時代に。 

そして店のオープンに合わせバックミュージック用としてCDの大人買いを始めました。 基本的に昔聞いて良かったのを集めようと。 価格の関係で洋盤が中心。 時々新しいCDまで手を伸ばします。 ボサノバの寄せ集めのCDから、これは面白いと思い聞き始めたのがSTACEY KENT。 白人女性のジャズ。 これが良い! 時に気にいったのが、この写真の Changing  lights。ジャズボーカルは、どうしてもスタンダードが中心となりますが、これは新曲中心。 それが粒揃いです。 例えばWAITERという曲。 「メニューになんて書いているのか分からない。 ウェイター、助けて頂戴」という不思議なシチュエーションをこんなお洒落な曲にするなんて。 一度、聞いて下さい。 気にいっていただける可能性は、30%? 

 3月1日  
 
 TV番組、昨日のジパングでイラン特集。 見んと! 時々、池上彰が出ている番組で、彼の番組は手抜きか気合が入っているか、すぐにわかります。 自分で海外に取材に行っている時は手抜き無し。 今回は、池上さんではなく、松尾博文、日経記者が登場し、イラン取材と番組説明で、池上さんの役回り。 ああ~、あの松尾さんや! 番組で出てきたアサデカン油田の話は日経紙にも載ってました。 2度もつかってズルイ。

店主ドバイ駐在時に、松尾さんはドバイ支局長兼テヘラン支局長で、縁あって何度か会食をご一緒にさせてもらいました。 記憶が正しければドバイショック(2009年夏)前、ドバイはまだまだイケイケドンドンやと思われていた時に、ドバイ変調の記事を書かれました。 駐在員仲間では評判の悪い記事だったのですが(「帰ってこい」と言われる)、彼の予想はどんぴしゃり。 中東の経験と取材の確かさからの先見の明。 流石です。 彼の後任の中西支局長とも懇意にさせていただきました。 両名とも中東の支局を何度も経験されてます。

日経の中東記事には、松尾さんや中西さんの署名記事が多い。 もっとシニアの方も居られますが。 いずれも中東で育てられた記者なので経験と見識に裏付けられた分厚い記事です。 日経の中東記事は読みでがあります。 因みに、他紙は読んでないのでコメント不可。

中東は、ず~と騒乱と混乱の場所なのでいろんなコメンテータが論説していますが、概して中東専門家の方が深いし示唆に富む。 蛸壺解説は困りますが。 先日TVで高橋和夫さんがサウジのサルマン国王を「認知症の噂がありますが、時々直っているようです」というふうなコメントされてました。 専門家ならでの不思議なコメントですが、彼のコメントは常にポイントをついてます。

以上3名の方、すべて外大OB。 今後も期待してますよ。

写真は、ドバイ癒しの乗り物。 アブラ船。 クリーク(人口の河)の渡し船。 ドバイ旅行の際は、是非ご乗船を。変わって無ければ一回、1デルハム。 20円くらい。 ペルシャ湾からの風を感じて下さい。

 2月28日  
 
 今週BSで「悪名」の第一弾をやってました。 いや~、面白い。 楽しい。

勝新の八尾の浅吉がかっこええし若い。 もっとかっこええのが田宮次郎のモートルの貞。 平べったい顔ばかりの中で抜きん出てます。それに、河内弁。 喧嘩のときにこの半分でも喋れたら、と昔は思ったはず。 見事な関西弁です(と思う)。 受験浪人のとき。この悪名シリーズをTVでやっていて、いかん、いかんと思いながら、結局ず~と、見続けてしまいました。 筋は自由自在というか、変幻自在というか。 健さん映画のように義理が人情より上、というようなきっちりとした倫理もなく、その場その場でというのが斬新です。 だからあっち行ったり、こっち行ったり。

細かいボロはあるものの、破たんとはなってない。今みても素晴らしい娯楽作品です。  

一方です。 「人生論的映画評論」というHPがあり。 あまりに長すぎる評論が多く、ほとんど飛ばし読みですが、たまたま「一枚のはがき」の評論があり読みました。 この映画をぼろくそに書いてあります。 思わず膝をうちました。 そうだ! 当時、この映画を見た時、既にキネ旬一位と知っていたのですが、最後まで違和感を覚えながら見終りました。 ええ。 どこがいいの? キネ旬トップは、この監督への過剰なレスペクトでは? その前の「午後の遺言状」もしかり。 いわば一本調子の不発弾です。 

ちょっと考えると、例えば反戦映画では「人間の条件」。 この映画も一本調子ですが、快打、快打、ホームランで、圧倒的な迫力で迫ります。これは良い映画、面白い映画。 勿論、原作の良さもあります。

ほんとう評論家は何をみているのでしょうか。 多分、他の評論家がどういっているかをずっとチェックしているのでしょう。 

写真は、サルークのザロニムサイズ。 ユニークなデザインで、サルークは一目で分かる。 が、今まで見た事あるのは片手くらい。 大体50年とか60年とか。 昔むかし、アメリカンサルークというのがあって第二次世界大戦前に米国で流行ったという。 これはメダリオンでバックが薄いピンクとかだった(らしい)。 絨毯の本を見ていると、サルークの近くのアラークの絨毯のデザインと近似。 本当はアラークというのが正解かも。 しかし絨毯関係者はサルークの名称が有名なので、サルークと呼ぶのでしょう。 

 2月15日  
 
 前回に続いて映画の話。 海街DIARYにケチをつけたが、キネ旬の読者選出ではベストワンではありませんか! 映画の見方については半分の自信と半分の不安をかかえる自分としては心配になりネットをチェック。 ネットでは素人の評しかないが、当然ながら誉めている記事ばかり。 「カンヌでの評価が低かった」。 ナニナニ。 「ドラマ性の欠如」。 これです。 やっと溜飲を下げました。 やっぱり、ちゃんと見ている人も居る、と。 程おいて海街の180°反対の映画を鑑賞しました。 1963年だから、もう50年以上前のフランス映画。 「小間使の日記」。 ルイス・ブルニュエルという難解で有名な監督(らしい)。 ブルニュエル映画は、初めてか、忘れてしまった可能性もある(途中で寝ていたかも)。しかしこの映画は面白い。 主演は、ジャンヌモローで、この時は30歳半ばで一番油がのっている時期。 パリから田舎の小金持ちの家、召使が数人いるような広い家に、小間使いとして行く。 電車の中から田舎を見るシーンがファーストシーン。 

出てくる人間がここの当主や若い主人や、下男や、隣人や、いずれも隙あらばと狙っているような人間ばかり。 ジャンヌモローだって負けてはいません。 一癖も二癖もある女。 トラやライオンや熊が待つ所に、羊が来たとおもったら狐だったという感じ?

どう見ても善人なんていう人は一人もでてきません。 善意の交換もありません。 

だからこそ、何が起こるのかと見ている人は身を乗り出すのです。フランスの田舎の綺麗な風景を写すかと思うと、逆。 全て寒々、荒涼とした感覚。 風景で心洗われるなんてありません。 これは登場人物の心象風景につながり、又この映画は風景に心を奪われず、登場人物の心理に集中してくださいよというヒントでもあります。 映画らしい映画。

シンプルではありません。 右にいったり左にいったり。最後の終わり方も、変な余韻を残します。 半分肩すかし。 海街とすべて逆といっていい展開、映画作法です。 こっちの映画の方を断然支持します。 

写真は、イスファハンのザロニムサイズよりちょっと大きめの絨毯。 今ウインドウに飾っています。 メダリオン模様。 ボーダーがなく色数も少ない異色のデザインで圧倒的に人目を惹く絨毯です。 

 1月31日  
 
 娘が借りてきた「海街dairy」を見ました。 本篇のほぼ最後のところで長女と四女が山に登って鎌倉の街と由比ヶ浜を眺望する所が出てきます。 あー、ここや! ここや!

この日記で2014年の12月に紹介した衣張山です。 鎌倉は前は海、後ろは山に囲まれているので、鎌倉のハイキングコースを歩く人は多いのですが、この山はそれほど登る人も居ない穴場です。 しかしな~。 正直、是枝監督作品としては、もう一つのれませんでした。 綾瀬はるかと長沢まさみの超美人姉妹。 ありえんやろ。 その4姉妹が極楽寺の古い家屋に住んで四六時中、顔を合わせている。 「ありえんやろ」の2乗です。それに「最後から二番目の恋」の二番煎じか?

邦画はそんなに見ていないが、是枝作品は良いですね。 その中でいくと疑問の一作。

良い人、良い人、そしてそれに善意にまぶして、かつ鎌倉の景色でうっとりさせるという、はっきり言ってミーちゃん、ハーちゃん向け映画。 毒が無い。 「誰も知らない」の母親の身勝手さは映画に横溢。 「歩いても歩いても」は事故で死んだ長男への思いと劣等感からくる次男と両親とのしっくりいかない関係が映画のテーマ。 「父になる」(だったか?)は病院で子供を取り違えられたエリートの父親の腹黒さがポイントになっている。

これらの毒(外から見ればマイナス面)が映画にいのちを与え立体化し話を進めるのだが、海街にはそれが無い。子供を捨てた両親にその役割を負わせるつもりだっただろうが、それは出来ていない。 上の衣張山のシーンだって何の為かよく分からん。この作品はキネ旬の発表で2015年の4位だそうだが、前に取り上げた「春の惑い」の反対事例。 

結論。 評論家なんか信頼するな。 

しかし是枝監督には期待してますよ。 世界のクロサワだって途切れなく傑作をつくっていた訳ではない。 

 1月17日  
 
 

これ今年の一発目に使うべきだった、が忘れていた。 今年の年賀状の写真。 昔は、当然のように自分の活動を嬉々と写真の年賀状に仕立てていたが、もうそんな活動もなく今年も孫。 キャプションは、
“孫のスマホ使い。 「来年くらい抜かれそうやね。」
「もう負けてるがな。」“

 1月7日  
 


2016年今年も宜しくお願いします。

年末に実家に帰った際、神戸で友達に会う前に寄り道。 神戸電鉄の湊川公園で下車、平野の方面に寄ってから三宮に向かう。 ここら辺は、神戸の下町でも忘れられたような街並み(と思っていた)。 まず駅の上の湊川公園に。 小学校のとき、模試を受けに神戸に来て(神戸電鉄は当時ここまでしか通ってなかった)友達とうろうろしていた場所だ。 湊川公園に楠公さんの立派な銅像。 多分、近くの湊川神社にもあるのだろうが、これだけ立派なのに有名やないな、と。 すぐそのうえに東山商店街。 年末もあって、すごい人混み。 寂れた街と思っていたのは大間違いか? しかし同タイムに三宮センター街を歩いている人より平均年齢は、10歳は上回るだろう。20歳か。 そのまま平野までぶらつく。 ここに伯母の実家があり、お祭りのときに泊めてもらったことをよく覚えている。 多分、他人の家に泊まるはドキドキものだったのだ。 最後は、祇園さんから祥福寺にでて、ここから三宮まで下りる。 冬の光が、寺の庭に射していい感じ。 大河の「平清盛」で案内説明があった場所だろうが、大河は見ていない。