9月3日   
 
開店時

 後3日で開店2か月となる。 が、この暑さか、それとも・・・なかなか、お客さんは来ませんね。 サラリーマン暮らし36年のあと、年寄りの冷や水?で絨毯屋を開店した。 店舗開業のガイドブックによって看板をつくり、チラシもつくり新聞折り込みのタウン紙に広告を出し、それでホームページも完成した。

PUBLICITYはばっちり。 が、逆に客の足は遠のくばかり。 絨毯は季節商品、秋風を待つしかないのかな、なんて思いながら。 ホームページの訪問者の数は、ぱっと来て、その後、急降下した。 友達、知り合いにURLをばら撒いたから予想通りとは言え。 ものの本ではホームページはいつもアップデートして訪問者を引き付けておけ、と書いてある。 仕入れの情報なんて、まず在庫がさばけないと、ないしね。 現地仕入なので、これもいつ行けることやら。イスファハンのおっちゃんには、早くビザを申請してとせっついてはいるが。

で、何も追加でホームページに書くことがない。 困ったな。 調べるとWEB日記を作れとある。 よっしゃ、これや!と。 絨毯屋の日記、しかも初回だから絨毯のことを書くべきだろうが。すいません、こんな所でお茶を濁して。 次回から期待して。 もうちょっと「読みで」があるのを書きます。

 9月9日  
 
ほたちゃん
 ちょっと経ってしまいましたが、盆に息子が初孫を連れて帰ってきました。目の前のバナナは見もしないで前方をきりりと見つめています。 目先のことばかり考えていたボンクラなおじいさんと違って期待が持てそうです。 え~、まだ離乳前だって?
すいません。 また絨毯とは関係ない話でした。 
 9月17日  
ブルスーク1
 
ブルースーク2
  日記だから「今日はこんな事して」なんて書きたい。 で、出来れば写真も載せたい。が、店を始めて分かったこと(半分は予想通り)は、「店をやる」ということは決まった日常の連続で変化なんか無いしね、まして写真なんか、となります。で、今日の写真は、UAEのシャルジャのブルースーク(略称) 本来名は、Central market。と言っても誰も知らない。 ドバイに住んでいる日本人だって、よっぽどのことがないと行かない、知らない場所。 ずっと昔からの観光スポットだったのが、ドバイの大発展で、隣町シャルジャのローカル観光スポットは、取り残され、なんとか余命をつなぐのみ。  この所、週末は、中国人、ロシア人の観光バスが寄っているようで、こういうのがしぶとく生き残るかも。 細長い建物が二つあるアラブ風建築で、渡り廊下が2か所。 両建物とも2階は、絨毯屋ばかりです。 絨毯屋だけで30~40軒あるでしょう。
ここで店主は、初めてペルシャ絨毯を知り、気がつけば毎週通うほどにはまってしまっていました。
(続く) *写真はWクリックしてください。
 9月23日  
 
ブルスーク
 先週の続き。 右の写真は、この建物の内部を2Fからみてます。 この2Fがほとんど絨毯屋です。 店員は、インド人、パキスタン人(まとめてインパキ)等。 オウナーはどういう訳かイエメン人が殆ど(NOTイラン人)。 仕事の前任者に教えてもらって、友達の新築祝い用の絨毯を買いにいったのが発端。 何軒か巡るうちに、息子と同年齢のアフガン人オウナーの店にたどり着きました。 他の店より商品がすごい訳でも、価格が安い訳でもなかったが。 他の店は、いかに、この日本人をだまくらかして高い値段をふっかけようか考えます。 (ある程度知り合うと、結構まともなのも居ることは居るが。) 彼は始めからまとも。 若い分、変な色がついてなかったというべきか。 絨毯の見分け方から産地の違い等々、なんでも教えてくれました。 彼の家は絨毯商一家。 代わりに、こっちは年配の強みで、彼が聞きたい絨毯以外の話をしていたので、行けばあっという間に2時間位はすぐに経ちました。それくらい客も来ないし。 今考えると、絨毯年齢20年位のを40年位と彼もそれなりに吹っかけていた気もするが。 毎週、ブルースークに行っていたので、彼に毎週会っていたことになります。 その彼も、その後、結婚して米国に家族旅行に行った際に帰路、UKでビザを見咎められ(アフガン人ですから日本人にない苦労)、そのまま結局、家族ごとUKに住み着いたとの事。 本当かウソか分からん話ながら、店の経営は彼の親戚に代わり、それからこの店は寄らずに素通りしています。
 9月30日  
 
クムウール
 絨毯屋のページなので、たまには「絨毯をどう見るか」について触れます。あくまで私流、人さまざまの見方があって、それで結構。 まずは左のNO.94のクムウールのガリッチェのサイズ(タテが2m強)。 写真ではWクリックしても見えるレベルは知れてます。 御免。 クムはシルク絨毯の大国ながらクムウールも味わい深い。 モチーフを限定していない感じで、いろんな模様が楽しめる。 クムシルクのように「すごいだろう。 参ったか」という押しつけがましさがなく、大らか。 又、高級なウール絨毯と違ってシルクを使っておらず絨毯らしい厚みがある。 その分、丈夫。 ノットは5~6/cm位。 価格もリーズナブル。 左のは見るからにツリーオフライフで、「樹」以外ないというシンプルな作り。 まわりの枝とでバランスを取っている。 普通だと、鳥がいたりウサギがいたりで賑やかさで絨毯を盛り上げる所だが、「樹」のモチーフだけで作り出している造形に拍手。 一見すると黄色の色が目につく。 がよく見ると草の部分とボーダー(外側の囲み)の枝部分だけにしか使っていない。 黄色、橙、緑とフールド(背景)の濃紺の色使いのコンビネーションが鮮やか。 黄色はペルシャ絨毯にはそれほど使われないが、No4のクムウールも同様でクムは黄色が得意なよう。 この絨毯を購入するときに、ペアでもう一枚あったが、一部パイルが薄くなっており、こちらだけ購入。 結構年をとっている感じ。 30年~40年と言われたが、その近辺だろう。 大体、絨毯屋の言うことを信じてはいけません、が。 写真では分からないが、背景の濃紺が上部に来ると若干、薄くなる。 これは夜明け時の情景で上部に日の出の光線を浴びている、との説明あり。 だから色が違う、と。 単に糸が無くなったから違う糸に替えたのでしょ、と思ったが、もう一枚の絨毯も同じ所で色をチェンジしていた。 そうだとするとすごい工夫だな。
 10月7日  
 
彼岸花
 もう2週間前ですが。  義父の法事代りの食事会があり、埼玉県高麗市に。 行ったついでに、近くの曼珠沙華の巾着田を訪問。 駅のポスターで見ていたが、これだけ広範囲の群生か、とびっくり。 しかも川沿いに群生しているので川のセセラギとあいまって秋の風情が一層です。 予想以上のおすすめ。 しかし小さい時は田舎に一杯咲いていたのに。 そのうちにセイタカアワダチソウに追いやられ、とんと見なくなりました。 田舎は兵庫県播州地方。 そういえば、なんと、あの「あまちゃん」も播州出身です。 上野樹里さん(加古川)に続く快挙?で、「播州の女は××ばっかり」という誤った通説を覆し多くの播州女子は溜飲を下げているでしょう。 男は、藤岡琢也や桂米朝や、昔から渋いところが続くのです。 (しかし、ちょっと年代が違い過ぎるがな)
 10月14日  
 
屋台
 先週土曜にドバイから来客あり。 これでUAEから3人目。 一時帰国時にわざわざ大船まで足を運んでもらい恐縮。 店主が勤めていた最後の会社からは、手伝いで頼んで来てもらった経理部員を除くと現役は0人。 店主の立ち位置がわかるようなデータです。 先週、急に当方のHPのヒットが激増。 ポステング広告でも大して増えなかったのにと首を傾げていたら、来店のファトマ嬢(コードネーム)のBLOGで誇大?宣伝してもらった為と判明。 毎日、何百のヒットがあるらしい。 BLOGの威力に感心するとともにファトマ嬢に再度、深謝。  今週の写真は、店主の田舎の秋祭りです。 ちょっとピンぼけ、かつ7年も前のです。 ネットで調べると丁度、先週末に終わった所。 宵宮で神社に宮入する屋台。 1トン以上する屋台を急峻な神社の階段を担ぎ上げます。 昔は、屋台の下敷きで死者も出たという一番の見所。 激しいたいこの音色、ゆれる提灯のあかり、担ぎ手の必死の掛け声。まわりの人間のどよめき。 夢のように美しい景色です。 実は店主は中学から市外の学校に行き大学で田舎を離れたので一度も、この屋台を担いだことがないのです。 その悔恨をこめての一枚。 
 10月30日  
 
 昨日買い出し旅行から帰国。 どんな絨毯を購入したかの詳細は別途、写真データと一緒に案内します。 今回は、買い出し旅行の目的の一つのナイン絨毯の故郷、ナインの街にワンデイトリップ。 イスファハンから東に150km。 ずっと砂漠の中を走る。 途中で昔、高級絨毯を織っていたツデシュクを通る。 アンテーク絨毯です。(正確にはオールドか) 師匠のオッチャン曰く「家はすべて新しい。 ここでは今は誰も織っていない事の証明。」 織子=貧乏という図式らしい。 ナインは観光的には単調な街。 見るとこないよね、ではさびしいので金曜モスクの地下。 これが写真です。 モスクの下に広大な地下フロアを作り地下水を引いている。 砂漠の街より水には苦労したのだろう。 街の中心街に絨毯屋が4,5軒のみ。 ここ及び周辺で作られた絨毯は殆どは即、イスファハンに流れているという事。 イスファハンにはナイン専門店or中心の店だけで何十軒とある。 店の店員がイスファハンで売られているナイン絨毯の方が安いかも、と言っとる。 それを言っちゃ御仕舞やろ。 細かくチャックした訳ではないが、工房の「ハビビアン」のサインが絨毯に入っていない。イスファハンに持っていくときに、このサインを付けるらしい。 サインが無いのが地元の矜持か。 *高名なハビビアンのサインはほとんど偽物だが、ナイン絨毯のかなりにこのサイン。 高く売れると思ってるのが居るから。 ハビビアンその人はとっくにあっちの世界です。
11月5日  
 
 先週旅行で訪れたナインを書いたので、イラン滞在の基地、イスファハンについて。 どの写真にしようかな~と。 エマム・スクエアはどこでも載っているしで、この写真です。 イスファハンを代表するアバシホテルの中庭です。 ここが素晴らしい。 特に夜。 水が流れバラが咲き光が揺らめく。キャラバンサライの伝統を引く名ホテル。 ロビーや廊下の工芸も見所です。ただし各部屋は古く、サービスはバツ。 泊まっていた離れの安い部屋は、今も100ドル・泊以下でテヘランよりずっと安いはず。 といっても店主は今はもっと安いホテル(部屋は広く快適)に泊まっているのですが。 こちらは40ドル・泊以下。 イラン旅行は安上がりです。 前回の滞在時、日本からのパック旅行らしき一行に会いました。 一つ気を付けて下さい。 ガイドが連れていく絨毯屋は、ガイドが法外なコミッションを裏で取っています。 そして「私が信頼できる絨毯屋にお連れします。 多くの絨毯屋は嘘ばっかり言ってボラれますから決して行かないで。」 自由時間に他の絨毯屋をじっくり見学する時間を作らないようです。 それなりの物を置いている店ですが、ガイドが一緒の時に、どんな値段を言っているのか、は正直、知らないのですが、かなり高いでしょう。  
 11月11日  
 
 このページを読んで頂いている数少ない読者はペルシャ絨毯の価格にも興味があるという前提での話。 前のイラン滞在時「これからドルベースで絨毯が高騰するので君はもう絨毯を買えなくなるぞ」と脅かされました。 金がないのを見透かされている(かも)。 初めてのイランでの絨毯購入が2009年。 この時のイランリアル(現地通貨)の対ドルの為替レートが確か12~13K・$。 公式レートもほぼ同じだった。 その後、経済制裁の一層の締め付けとともに市場レート(実質レート)と公式レートの乖離が始まり、35~36K・$まで進みました。 このままだと絨毯は一気に3倍安くなるはずですが、時をおなじゅうして現地通貨での絨毯価格が急騰しドルベースでの価格はほとんど変化がなかった。 まあ、その一部はイラン絨毯商人がTAKE CHANCEした事もあるでしょう。 そして現在。 連日のようにイランの核開発問題の国際会議の報道。 トップの交代で、雪解けは遅々とであっても間違いなく進む。 高インフレと物不足で困っているイラン国民は大歓迎!! 為替も12~13Kに向けて逆戻りするでしょう。 そうなると絨毯価格はドルベースで3倍上がる、理屈上は。 本当? で、どうなる、の続きは次回の考察で。   *添付の写真はヤラメ。 今回の仕入れの一枚。 今週中に届きます。 なるべく早めにデータをアップします。
 11月25日  
 
 前回の続きではなく、旬のを一発。 戸塚区舞岡公園の紅葉。 毎週、週末の散歩コース。 公園というより広い森のなかに道があるという自然一杯の所です。 いつ来ても良い所ですが、青葉のときと今がベストかな。 早朝散歩で澄み渡った空気が有難い。 適当な人影もあり。 昔「アド街」でやっていた戸塚ベスト20は何も覚えてないが、この舞岡公園は戸塚区民の喜びです。 ちょっと大袈裟か。 有料駐車所があるので初めてなら車が間違いない。 歩いて公園に入るのは案内表示なく意外と難しいかも
 12月3日  
 
 11月11日の続きです。 その前に。 10月の買い出しのナインの玄関マットサイズとギャッベがボチボチ出ています。 お買い上げ有難うございます。 正直、このサイズはコレクターとしては興味がなかったのですが。 しかし一番初めに買った絨毯は、やっぱりこのサイズだったしね~。 まあ、全てここから始まる。 左の写真。 イスファハンのベストの絨毯の一つです。 実はまだ値札を付けていません。 シャルジャのある店で初めて見てウットリ。 値段を聞いてビックリ。 「帰任の時に残っていたら買うよ」の捨てセリフを言わざるを得なかった。 店の入り口を飾っていたこの絨毯はすぐに無くなると思っていたが、結局2年経っても売れず、ついに来た帰任時に、ここの店主と二日がかりのネゴをしてゲット。 という事で、まだ暫くは手元に置いときたい。  言いたいのは、そういう事ではなく、絨毯はそれほど簡単にさばけないという現実。  メーカー育ちなので「長期在庫は悪」と教えられてきたが、絨毯屋では、それが実体。 だから絨毯屋には3年、5年さばけない絨毯が一杯残っています。 この長期在庫が絨毯価格の一つの鍵です。  雪解けとともにイランの現地通貨はドル安に向かい、為替上は絨毯は一気に値上がりするのが理屈。 しかし邪魔するのが二つ。 まずは需給バランス。 国際商品だがら、急激な値上がりをマーケットが受け入れるかが一つ。 もう一つはこの長期在庫。 5年前、10年前に仕入れた在庫は、コストも安いはずで最近の為替の波もかぶっていない。 また絨毯屋は先にこれを売りたいし。 という、この2つの理由から、為替が急激に動いても、絨毯価格は急激に上昇しない、と小職は勝手に希望的観測をしています。(まあ、当たらんでしょう)
 12月10日  
 
 今日、店に来た人とドバイの話をしていたので、思わず「自慢し~」の本性が出て、この写真をピックしました。 向こうで住んでいたアパートの裏口から見た景色。 手前がプールで、その後ろがモールのレストラン街。 このビルの地下にジムがあったので毎夜の通り道。 ドバイで一番好きな景色なので、いつもここでじっくりこの眺めを味わってからジムに。 とても暑い国、車移動の国なのでアパートには必ずジムが付属。 もち、身銭ではなく、会社負担の高級アパートです。 もうこんな超ラグジャリーな生活、二度と来んな。
 12月17日  
 
 苦しい時の孫頼みだ~。 で、これ? ゆっとくけど男でっせ。
 12月24日  
 
 これで今年最後の日記、日記と言いながら全然日記になっていませんが。 これも一年以上前の10月末、イスファハンからカシャンにワンデイトリップしたときのもの。 カシャンは伝統的なメダリオン模様絨毯や、クムと双璧をなすシルク絨毯の産地なので期待していたのですが、前に絨毯屋が固まっていた(らしい)一角の店が全部閉まっていたり、やっと見つけた絨毯屋にカシャン製の絨毯がほんの少しだけとガッカリの結果。 落ち目なんですな。 帰路カシャンから4,50km砂漠の中の道を走り、そこから右手に見える山中に分け入ります。 アビヨーネ(ちょっと言い方が間違っているかも)という古い集落が残っています。 山に張り付いた土塀の家に住み、特異な民族衣装を着ています。 ガイドブックにも出てくる村です。 といっても若い人は出て行って、居るのは年寄りばかり。 そこから隣の山を見た風景です。 夕暮れ前のひと時。 山ははげ山、手前は糸杉。 そうです。 これってギャッベによくでてくるモチーフ。 ここからギャッベを作るカシュガイ族が住むシラース周辺の山まで500km以上ありますが、ほぼ一緒。 と、大雑把にまとめておきましょう。 
それでは、数少ない奇特な愛読者の皆様。 Merry Christmas & 良いお年をお迎え下さい。